「装束と御能」講演①

京都岡崎にある『源鳳院』さんで行われている
山科別邸築100年記念の特別講演第八弾。
昨年8月に行われた第一弾の『日本の七夕』以来の投稿^^;
ようやく第八弾目にして備忘録としてまとめることができた。

今回5月19日のテーマ「装束と御能」。
講師は金剛流能楽師の宇高竜成氏。
衣紋道山科流と御能の関連としては
御能の明治期の名人「金剛謹之助(1854~1951)」や次男の金剛流初世「金剛 巌(1886~1951)」は衣紋道の山科家にて衣紋の勉強をされたそうである。
金剛流の装束付けには山科流の影響が残っているとのこと。

講演材料として取りあげられた御能は「枕慈童(まくらじどう)」という演目の一部である。
会場には唐織や刺繍の能装束のほか枕慈童の衣裳が用意されていた。
まず能装束の選び方、織りや刺繍の話、名称、歴史などの説明。
装束は演目や役がらに合せて選び、着装も様々。

↓まずは代表的な豪華な唐織(織物)の能装束
      IMG_5978.jpg
そして着装実演が開始。
宇高竜成氏弟さん宇高徳成(のりしげ)氏がモデルに。
まずは徳成氏は紋付袴なのでその状態から装束と鬘の説明と着装
刺繍装束の着装 腰部分は柄はなく肩・袖・裾に豪華な刺繍
 裾を狭く着付けているが御能はすり足で歩く為これで大丈夫なのだそう
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        IMG_5984.jpg

衣裳をとめるものは長い組紐や「腰帯(こしおび)」という中ほどと両端に紋や柄の装飾のある固い素材でできている幅広腰紐のようなもので。
それらであの大きな衣裳を支え、挟み込み、しかも舞台での動きに持ちこたえる。
タックをとったり腕の長さの調節に袖口をたたんだ際は、その都度糸と針で数針縫う。
昔は専門の着付担当者がいたそうだが現在は能楽師どうしで着せ合うとのこと。
後十年前十年という言葉あって、役の数だけ着せ方もあるようだ。二人での着装にも経験が必須。

また、衣裳の下は胴着に胸布団という補正の下着をつけ、汗をすって衣裳を守る。
宮廷装束で葵祭りや七夕乞巧奠(きっこうてん)などで見られる夏仕様は能装束にはないので
夏の薪能など暑い時期は中の胴着などは汗びっしょりになる。。。
工事作業の『空調服』のようにファンがついていたらいいのにというジョークも出る…(笑)

鬘も役によってその様相は変わる。
↓馬毛(しっぽ)で出来た毛の鬘(黒垂)
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髪を首あたりでくくるのは紙の紐で元結(モトユイ=モットイ)といい、面をつける前に
「鬘帯(かづらおび)」という装飾されている鉢巻状の長い紐を巻く。
鬘帯はその絵が着物の裾柄にも描かれたり刺繍で表現されたりで現在も着物の文様として見ることができる。
IMG_5996.jpg IMG_5997.jpg

それともう一つ見せていただいたのがかなりワイルドな鬘
IMG_5991.jpg yak.jpg
↑ヤクの毛で出来ている         ↑ヤク

さていよいよ枕慈童の衣裳つけです。
それは次の「装束と御能」講演②にて。



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