七夕を深く…

先週土曜日(8月18日)京都岡崎にある旅館「源鳳院(げんほういん)」さんでの講演イベント。
備忘録も兼ねての久々のUP。
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源鳳院さんの築100年記念での興味深い講演がこれから毎月目白押し。

第一回目のこの日のテーマは“日本の七夕”
新暦の8月17日が旧暦では七夕の日となり、その翌日での開催だった。
床の間には七夕の花とされる“センノウゲ(センノウケorセンノウ)”の鉢がそっと添えられていた。
脇の短冊は長艸刺繍さんの手による、描いた物のように見える七夕にちなんだ縫い絵短冊
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センノウゲの花のについてはここを参照してほしい。
かつて京都の嵯峨野にあった仙翁寺の名前がついたナデシコ科の山野草だ。

まずはこのテーマをなぜキモノブログに投稿するか。
そもそも“七夕”はモチロン“たなばた”と読むが“語源は“棚機”。
機を織るあるいは和裁をする女性達がその上達を祈願して
ごちそうや糸や糸を通した針、糸に模した物などをお供えし、
さらにとことん“七”にこだわっての和歌を詠んだり数を合わせたりする。
江戸時代には織や縫いの手習いごとや和歌の上達などの願掛けとしての行事として続いていく。
つまりキモノには深く関わりのある行事なのだ。
会場に掛けてあった「捧二星七篇和歌」のお軸は
上冷泉家20代当主冷泉為理(れいぜいためただ)の手による定家様書体。
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そして機織り娘(織姫)と牽牛(彦星)の年に一度の逢瀬の伝説でもある。
なぜ年に一度の逢瀬となったかはWikipediaには
 六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、
「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。
 年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。
 天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。
 嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」
とある。
また、時計が日本に来たことで、月を眺めて時刻を知るかつての風情は薄らいだ。
旧暦で月の1日はお月さまの満ち欠けで新月、15日が満月。
7日は半月である。
その半月は舟の形であり、その舟に乗ってこの二つの星が出逢うともいう
なんともロマンチックな話。
旧暦では立秋以降ということになり、古来の七夕は秋の季語となる。
しかも雨の多い梅雨ではなく、この時期特有のからりとした空気の夜空に輝く半月や
星々のきれいな初秋の行事なのだ。
旧暦で七夕祭りをすれば短冊や書いた字がが雨によれることもない。。。
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Wikiによると
国立天文台では2001年から、
『新暦7月7日はたいてい梅雨のさなかでなかなか星も見られない」という理由で、
旧暦7月7日を「伝統的七夕」と呼び、その日の新暦での日付を広く報じている。』
とある。

古くは万葉集に出てくる七夕は牽牛農夫と織姫(織女=しょくじょ)機織り娘の二星(ふたり)の逢瀬を祝う内容だけでなく、行事としての描写やその内容がわかる和歌も多い。
◆『古今和歌集』凡河内 躬恒(おおしこうちのみつね)
  たなばたに貸しつる糸のうちはへて 年のを長く恋ひやわたらむ
 (七夕に供えた糸のように長い年月で恋しく想うのだろうか)
◆『新古今和歌集』藤原俊成
  たなばたのと渡る舟の梶の葉に いく秋書きつ露の玉章(たまづさ)
 (七夕の水門=と(門)を渡る舟の梶=楫=舵の葉に もう長い年月恋文を書いたことでしょう)
 ※梶が舟の舵に掛けてある 梶の木の葉は文字が書けるほどの大きさ
 ※梶の木は古代から神に捧げるご神木として尊ばれ、神社にはよく植えられていた
   京都では蹴鞠で知られる「白峯神社」に御神木としてみられる
◆『拾遺愚草』藤原定家  乞巧奠(きっこうてん)
 秋ごとに絶えぬ星逢うひの小夜ふけて 光並ぶる庭のともし火
 ※乞巧奠とは、たくみ(巧み(匠))を乞うて(待って)奠(祭る)行事の意味

この『乞巧奠』は平安時代に行われていた七夕の行事で
冷泉家(藤原道長、俊成、定家の流れを引いている公家の家)が現在も
毎年旧暦の七夕の日に行っていて、お供え物、蹴鞠や和歌詠みなど伝統のスタイルを今に伝える。
この時期の裏千家のお手前に葉蓋のお点前というものもあり
水指しの蓋に梶の葉やそれに似た葉が使われたり、梶の葉の絵のついた茶碗をつかったり。

装束も女性は袿袴(夏の袿=うちき・袴姿)・男性は束帯の衣装と
その姿かたちも時代を経て少し形が変わりながらも受け継がれている。

会場となった源鳳院さんは伝統装束着装の山科流を継ぐ山科家の別邸だった処。
室町期・山科家日記にも七夕(乞巧奠)の儀式に関する記述がある。
この美しいお庭の一角にも七夕のお供えがされて行事が行われていたのかもしれない。
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さて、何度か出てきた「梶の木」。
七夕行事に奉納される蹴鞠の初めには梶の木にその鞠を掛けて中庭に持ち込む。
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梶の木はその樹皮から繊維をとり、布にもなったそうである。
クワ科コウゾ属で、葉は飼料、幹は和紙の原料になる。
古来より神事や生活に深くかかわる植物であったのだ。
きものの伝統文様にも、家紋にも『梶の葉文』あるいは『梶葉文』『梶文』は出てくる。
下の写真がその梶の葉。これだけ大きいと器になったり和歌を書きこんだりもできる。
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さて次回の源鳳院さんのイベントはこの梶の木に捧げ持たれて来る蹴鞠と
御能のお話しがあるそうだ。
こちらも楽しみだ。




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京都で着物スタイリスト、着付コーディネートをしています。
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