【きものなれゐて】無鄰庵でお茶の淹れ方を。
4月の【きものなれゐて】は
桜満開の(ハズだった)岡崎の『無鄰庵』にて開催。
残念ながら前日の風雨でソメイヨシノは花弁を落してしまい…(p_q)
でも、会は楽しく進行。

テーマは
『おいしいお茶の淹れ方教室』。
講師には観月橋近くにお店のある
「㈱カネ七 畠山製茶」の畠山友晴氏。
ウェブサイト『ほっこり庵七之進』店長さん。
このテーマを決めた後に朝日新聞の天声人語でこんな記事が。
---------------------------------------
『(天声人語)急須を知らない世代』
大ニュースではないが、驚いてしまう記事がある。
3年前にこんな記述があった。
ある人が幼稚園で講演したとき、若い母親に「お茶って自分の家で作れるんですか」と聞かれた。
「はい」と答えると、彼女はこう言ったそうだ
▼「私のお母さんがお茶を作っているところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」。
彼女はどうやら、お茶を「いれる」という言い方も知らないらしい
▼一昨年も似た記事があった。料理教室の先生に、急須を「これは何ですか」と聞く受講生がいたという。
だが、そうした例が驚くにあたらないのを、きのう東京で読んだ記事で知った。
日教組の教研集会で「今の高校生は日本茶の入れ方を知らない」という報告があったそうだ
▼福岡県立高校の家庭科教諭が生徒にアンケートしたら、
冬に家で飲むお茶を「急須でいれる」と答えたのは2割しかなかった。
授業では急須を直接火にかけようとする生徒もいたという
▼おそらくは「粗茶ですが」や「茶柱が立つ」といった言葉も知らないのだろう。
市販の飲料は手軽でいいが、文化や歴史をまとう「お茶」と無縁に子らが育つのは寂しい
▼「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」
と言ったのは大名茶人の松平不昧(ふまい)だった。
庶民もお茶でもてなし、もてなされる。
いれてもらったお茶は、粗茶でも心が和むものだ。
コンビニエンス(便利)と引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、立ち止まりたい時がある。
---------------------------------------
(-_-)ウーム・・・急須をそのままコンロに掛けてしまうというのは驚き。
着物とはちょっと関係がなさそうだが、
かつてはなくては生活できなかったものという点では共通している。
お茶はお茶屋さんの日本茶を“淹れて”飲まない人が増えてしまい、
きものも純日本産よりも他国で生産され、プリントされているものが多くなってしまっている。
今回のなれゐてのテーマはそういう伏線を感じながらのものだった。
お茶をきちんと飲めているだろうか、
美味しく淹れられているだろうか。。。
教室は、お茶の効用、茶葉の見分け方、淹れ方などなど
即、数時間後に実践可能でとてもわかりやすく為になる講習だった。


利き茶の講習↓

実際に淹れてその色や香り、味を飲んで確かめて↓

“便利な”お茶は“便利な使い方”で楽しみたい。
でもホッと一息つく時間ではゆったりと急須を使っての“間”もおいしいものだ。
着物にしても着て出掛ける事と同じぐらい、何を着ようか、どう合わせようかを迷って選ぶ時間もいとおしく思う事がきものの楽しみにもなる。
多くの手が加わっているものは確かに高価だったり簡単には手に入らなかったり、手順やていねいな扱いを伴う。
自分で扱うとなるとその面倒くささは忙しさの中でおざなりになりがち。
手間や価格に関して「こうなればいいのに」ということをかつてから今に至る間に叶って来てしまっている中、
今回の教室では時間を掛けること、手間をかけることに心を豊かにする要素は詰まっていることに気がつく。
こういう身近なことから自然に、シンプルに手を掛けると“和”をより深く楽しめる。
そしてやはり自宅でお茶を飲む際は急須から注ぎたい。
------------------------
次回の【きものなれゐて】は
4月29日(月・祝)14時より【なれゐて探究会】となります。
場所は宇治です。
テーマは『麻』。
詳細とお申し込みはこちら。
桜満開の(ハズだった)岡崎の『無鄰庵』にて開催。
残念ながら前日の風雨でソメイヨシノは花弁を落してしまい…(p_q)
でも、会は楽しく進行。

テーマは
『おいしいお茶の淹れ方教室』。
講師には観月橋近くにお店のある
「㈱カネ七 畠山製茶」の畠山友晴氏。
ウェブサイト『ほっこり庵七之進』店長さん。
このテーマを決めた後に朝日新聞の天声人語でこんな記事が。
---------------------------------------
『(天声人語)急須を知らない世代』
大ニュースではないが、驚いてしまう記事がある。
3年前にこんな記述があった。
ある人が幼稚園で講演したとき、若い母親に「お茶って自分の家で作れるんですか」と聞かれた。
「はい」と答えると、彼女はこう言ったそうだ
▼「私のお母さんがお茶を作っているところ、見たことがない。いつもペットボトルのお茶を飲んできた」。
彼女はどうやら、お茶を「いれる」という言い方も知らないらしい
▼一昨年も似た記事があった。料理教室の先生に、急須を「これは何ですか」と聞く受講生がいたという。
だが、そうした例が驚くにあたらないのを、きのう東京で読んだ記事で知った。
日教組の教研集会で「今の高校生は日本茶の入れ方を知らない」という報告があったそうだ
▼福岡県立高校の家庭科教諭が生徒にアンケートしたら、
冬に家で飲むお茶を「急須でいれる」と答えたのは2割しかなかった。
授業では急須を直接火にかけようとする生徒もいたという
▼おそらくは「粗茶ですが」や「茶柱が立つ」といった言葉も知らないのだろう。
市販の飲料は手軽でいいが、文化や歴史をまとう「お茶」と無縁に子らが育つのは寂しい
▼「客の心になりて亭主せよ。亭主の心になりて客いたせ」
と言ったのは大名茶人の松平不昧(ふまい)だった。
庶民もお茶でもてなし、もてなされる。
いれてもらったお茶は、粗茶でも心が和むものだ。
コンビニエンス(便利)と引き換えに大事なものをこぼして歩いているようで、立ち止まりたい時がある。
---------------------------------------
(-_-)ウーム・・・急須をそのままコンロに掛けてしまうというのは驚き。
着物とはちょっと関係がなさそうだが、
かつてはなくては生活できなかったものという点では共通している。
お茶はお茶屋さんの日本茶を“淹れて”飲まない人が増えてしまい、
きものも純日本産よりも他国で生産され、プリントされているものが多くなってしまっている。
今回のなれゐてのテーマはそういう伏線を感じながらのものだった。
お茶をきちんと飲めているだろうか、
美味しく淹れられているだろうか。。。
教室は、お茶の効用、茶葉の見分け方、淹れ方などなど
即、数時間後に実践可能でとてもわかりやすく為になる講習だった。


利き茶の講習↓

実際に淹れてその色や香り、味を飲んで確かめて↓

“便利な”お茶は“便利な使い方”で楽しみたい。
でもホッと一息つく時間ではゆったりと急須を使っての“間”もおいしいものだ。
着物にしても着て出掛ける事と同じぐらい、何を着ようか、どう合わせようかを迷って選ぶ時間もいとおしく思う事がきものの楽しみにもなる。
多くの手が加わっているものは確かに高価だったり簡単には手に入らなかったり、手順やていねいな扱いを伴う。
自分で扱うとなるとその面倒くささは忙しさの中でおざなりになりがち。
手間や価格に関して「こうなればいいのに」ということをかつてから今に至る間に叶って来てしまっている中、
今回の教室では時間を掛けること、手間をかけることに心を豊かにする要素は詰まっていることに気がつく。
こういう身近なことから自然に、シンプルに手を掛けると“和”をより深く楽しめる。
そしてやはり自宅でお茶を飲む際は急須から注ぎたい。
------------------------
次回の【きものなれゐて】は
4月29日(月・祝)14時より【なれゐて探究会】となります。
場所は宇治です。
テーマは『麻』。
詳細とお申し込みはこちら。