絞り技法『輪出し絞り』工房見学

絞りという染め技法は7世紀後期~8世紀中ごろ栄えた、天平の三纈(てんぴょうのさんけち)と言われる染色技法【夾纈・纐纈・﨟纈】の中のひとつ。

この三つの染色は“染める場所”と“染まらない場所”をつくることで柄を出している。
〔夾纈(キョウケチ)〕は板締め技法で、柄が彫ってある板で布を挟んでそのくぼんだ場所に染料を流して染める。
〔纐纈(コウケチ)〕これが絞りの技法。
“纐(コウ)”は中国,経律論の難読難解字および音訳漢字に対する音注義注の書【一切経音義】に
〈糸をもって繒(かとり)(上質の平絹)を縛り之を染め,糸を解いて文様を成すものを纈という〉
とある(kotobankより)。つまり、絞り染めのこと。
〔﨟纈(ロウケチ)〕これはそのままローケツ染め

この絞り染めの中でも『輪出し絞り(リンダシシボリ)』と言われる技法がある。
京都の花街などでも、よくこのタイプの帯揚げが使用される。
この日は老舗呉服店や屋形へ納める絞り染め製品を製作されている工房へ、
いったいどのように染められているのかをたずねた。
ご協力は絞り染めの老舗『丸太遠藤』さん

淡い地色に濃い色で絞り染めがされた風呂敷。
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赤い絞り染めで出た花びらの中央にもさらに疋田絞りが。※疋田:木綿糸ではなく、絹糸でくくる鹿の子柄の染め


七五三の四つ身にも可愛らしい柄で輪出し絞り。
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さてこの『輪出し絞り』、よく絞り染め体験などで糸でくくった場所が防染されて
そのほかの広範囲の部分に着色する絞り染めとは反対の染めであることに気がつかれると思う。
防染されている部分が周囲で柄のみに色が入る。

その染織方法は実に手間と熟練技術が必要なものだった。

糸で柄の周囲が既に縫われ、中心部にも疋田絞りがされている白生地から。
(これは小風呂敷の柄くくり)
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紙製の芯を用意。 そしてそれを柄部分で包む。

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さらにくるんだ部分と縫い目の境目に色が入らない様に筆で防染剤を塗布。

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ビニールの布にハサミで小さな丸い穴を開ける。  その穴に先ほどの絞った柄の部分を押し出すように通す。

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固定した金具に糸をかけて、押し出した柄部分をきつくくくって絞め、ほどけないようにさらに止める。

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別の製品だが、柄部分のみ染めたもの。
丸太遠藤さんのところでは『タコ帽子』と呼んでおられた…確かに蛸のよう…
このタコ君が緑色のお風呂に入ったきた状態(笑


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ビニールから取り出して紙の芯を取り出す。硬い芯が凹むほどつよくくくられていた。

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別の製品で七五三着物の柄染め。
何色もの柄を入れる時は1色分ずつ外に出して色数の回数くくっては染めての工程。


“輪出し絞り”の技法は帯揚げや風呂敷・着尺・七五三の四つ身など
振袖のような大きな柄のもの以外に用いる。
昔は桶で絞る方法が主流だったとのことだが、
このビニールで包んで、はみ出させた部分を染める方がよりくっきりと際立ち、柄がきれいに染まる。
道具の進化によってより美しい染めが可能となった。


以下の写真は同じ染めやさんによる別の絞り染めの様子。
桶を使って絞る技法は“桶絞り”と呼ばれる。
着色部分のみを外に出して蓋をして桶ごと染料へ浸けて染める。
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これは振袖を染めているところ。

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光の下で染まった色が注文通りかを丹念に合わせていく。

絞り染めは華やかさと、どの年代の人が使っても上品な愛らしさが醸し出される。
ただ、残念なことに絞りの技術保持者だけではなく、
この桶絞りの“桶”がなかなか新調できないとのこと。
桶を作る職人さんが激減している状態だそうだ。

優れた技術と良い道具が不可欠な世界。
その技術保持者が少なくなっている上に道具の調達も厳しくなっている現状は伝統工芸の将来に暗い影も落とす。
きっとかつて今以上にあった技法の数々もそうやって少なくなって来ているのかもしれない。
希少性が付加価値とばかりは言っていられない。

美しい染めは身に着けるあるいは持つ人に魅力を与え続けていく。
お宮参り、七五三、十三参り、そして成人式、結婚式、、、。
節目節目の行事をこれらの確かな染織による和装で丁寧に装う文化を過去の物にしてはならないと
強く思う日になった。


見学にご協力いただきました皆様に心より御礼を申し上げます。

鞍馬の機場へ

春の陽気に誘われて久々の遠出。


・・・・・と思ったら結構近かった鞍馬。


目的は最近引っ越された西陣織のきものや帯を製作されている
『織座 くれはとり』さんの新工房へ。

“くれはとり”とはここから↓命名されているとのこと。
        ウィキペディア 呉服神社 祭神が“くれはとり”。

絣と紋織(経錦や御召、紹巴(しょうは)などを含む)の“織のきもの”を中心に、帯も織られている。

糸のかすりやぼかし染め、経糸の整経などなど説明もしたいのだが勉強不足の為うまくまとめられない(T_T)

なので、今日はまず工房風景をご紹介。


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       工房の屋根に見える糸車マーク。




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    これらの機を一度解体してからまた組み立てて、、、お引っ越しはさぞや大変だったことと思う。

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       経糸に絣くくりと染めを繰り返した糸がかかっている。右は太子間道。どちらも帯。
       
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       これらのドラムは経糸を巻き付けていろいろな作業をする道具。(太鼓と呼ばれているらしい)
       長く延ばさずコンパクトに経糸の作業が出来て効率的だ。
       もうかなり古くからのを大事に使っていて、同じ物を新しく作ることがほぼ難しいとの事。
       織技術を支えるこういう道具も伝えて残して行かなくてはではとつくづく思う。

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          経糸に絣くくりをしているところ。糸のテンションを保ちつつ細かい絣くくりが可能。
          やはり狭い場所でもできる道具は便利。一度に数反分もの経糸をくくることができる。

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                  ぎっしりと出番を待つ糸達。これが既に美しい




叡山電鉄「二ノ瀬」駅近くに静かにたたずむ工房である。
ここからまたきもの好き垂涎の布が生まれていくのだ。

織物の奥深い世界がここには詰まっている。


                      

開田の麻織物

夏は麻織物のきものが活躍するシーズンだ。
薄くて肌につかない質感は着心地も見た目も涼やか。

その“麻”素材、今でこそ夏の着物や帯が主流なのだが
元々は絹や木綿などなかった時代から着られている。


開田では“麻を織れないものは嫁にせぬ”と言われたほど
女性はみんな麻を織っていた。
木綿や古着に交換したりするのにも麻織物が基本だったようだ。
「開田村の麻織の技法」は長野県選択無形民俗文化財。

昭和50年代までは開田で麻織物が生産されていたらしいが
その後途絶えてしまった。
そして時は過ぎて2年ほど前、
木曽町に合併した旧開田村の地域自治組織の呼び掛けで地元のお年寄りから
開田の麻織物技術を伝承しようとする動きが再始動した。

麻の織布のことを現地の言葉で“のの”と言う。
今回開田高原へ行き、その『麻布(のの)織りの家』を訪ねた。
毎週水曜日に有志が集まって作業をしているとのこと。

     
    麻布織りの家


伺った時はちょうど食後のティータイムで話題はやはり麻布のこと。


        ティータイム



作業は乾燥している麻束(ここまでの工程も大変なものだが)から
麻績み(おうみ)作業や糸に撚りをかけたり機織りをしたり。


        麻束と糸

 

        オンケ(おぼけ)


一筋の麻を取り出してさばきながら糸績みをしていく。
さばいた糸の一本を口にくわえ、手でさばいたもう一本の糸に撚りをかけながら
口にくわえた方を挟んでいく。
口にくわえている方は湿っているので撚り込んだつなぎ目がよく締まるとのこと。 


        麻績み


糸績みの作業の手元を見ていて一定の長さしかない麻繊維が継ぎ目がわからない状態で
長い糸になっていくのがとても不思議だった。
そこで糸をつぐ方法を訊ねると

継ぎたい端の少し手前から二つに糸を割り、Z撚りを両方にかける。
         ↓
別の麻糸をその二本に挟んで一緒にS撚りをかけていく。

これでどこで継ぎ足したかわからないきれいな糸の状態となる。




        糸績み




        撚りかけ
        績んだ糸に糸車で撚りをかけて麻ガラ(オガラ)に巻きつけていく。



その後は機に掛けるまでの工程があるのだがその作業は今回は見られなかった。
ただ調べたところ、糸に糊をかける際、結城紬はうどん粉だったのだが
この開田の麻はソバ粉を使っていたとの事。この麻布織りの会の糸もやはりそうなのかな。
次にきちんと聞いてこなければ。。。
しかし、ソバ粉とはさすが信州だ。



そして機織り。


       畑中さんの機


この黒い使い込んだ機。やや座面の低い高機なのだが
なんと、麻織物の伝承者として県無形文化財に選ばれた故畑中たみさんが実際に使用していたもの。

商品としてたくさんの麻の布を開田から世に出すのにはまだ時間がかかりそうだが
ぜひとも歴史をつないで麻織物を開田で復活させてほしいものである。


       織り上がり布




一日中座って麻績みをしているおばあさん。
子供の時は手伝いとしてずぅ?っと麻績みをしていたとのこと。
無くしてはいけないものだと実感した。



                 糸績み




                   

大島紬のこと

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大島紬と一口に言っても色の種類・産地などの違いでいろいろなものがある。


大島紬はざっと分けて
証紙が地球印の奄美大島産と旗印の鹿児島産、都城産、関東の村山大島が
それぞれ特徴を持っている。
これは産地の違い。


そして「泥大島」「藍大島」「白大島」「色大島」「夏大島」と
その製品のベース色や糸質によっての分類でもそれぞれの産地で作られている。


それともう一つの分け方、、、これは近年のものだが
「染め大島」なるものも今は多数。
白生地(細かな柄入りを含む)を鹿児島等で生産し検査を受けて証紙を得た白生地で
京都や他の地域で後染めをする。
風合いのみが大島で染めは友禅あり絞りあり、刺繍や金彩まで入るものもある。



その昔は手紬の糸節のある泥や藍のみの素朴な紬織だったとのことだが
それが需要の拡大を求めて多様なきものへと変貌してきた。
もちろん機械(動力)織りも出現しており
その結果価格も実に幅色いものとなった。

一昨年訪ねた「本場大島紬織物協同組合」でのPHOTO

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検査項目は多く、人の目で問題がないかを調べて証紙が発行される。


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これらの証紙は地球印なので鹿児島産のもの。
奄美大島で作られたものの証紙はコチラを参照。



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上左が「締め機」で大島の絣模様を作るのには欠かせない工程。
その右の写真はその締め機を締める動力。。。高齢化や作業効率から締め機は動力化している様子。。。
その下は最後の手織り工程。







大島紬(そう呼ぶ際は先染めの本来の物を指す)は藍や泥染め以外にも杉(屋久杉含む)や
椎木・やまもも・梅・五倍子・よもぎ・黄はだ・桜染などなどの植物染料のほか、
デザイン性・堅牢度(退色しにくさ)を重視して使われる合成染料の物など
ファッションと捉えての色使いも多岐に渡る。


ただ個人的にはやはり車輪梅(テーチ木とも言う)と泥染めによる黒を主体とした
こっくりとした大島が好きだ。

この秋、鹿児島の大島紬を入手
従来のいわゆる「絣模様」の大島ではなく、すっきりとした大きな柄でかな?り気に入っている。
                  (この記事冒頭の写真のきものではありません)
お気に入りの大島紬の機やさん『関絹織物』さんの手織り大島。
次回のUPでご紹介。。。。




小紋染め。

小紋の話。

型染めのきものの歴史は古く、1200年も前に京都で染められていたものが最古のよう。
その後“京小紋”“江戸小紋”“加賀小紋”“紅型小紋”“東京染小紋”などで引き継がれている。

友禅の柄やさまざまな染め柄を型染めにした華やかで多彩な京小紋や加賀小紋。
そして、室町時代の武具に使われた布や家紋の染め抜きなどで発達し
江戸時代に至って江戸の町に武士が増えると裃に端を発した男性礼装用きものの染めから
江戸中期に花開く文化の中で、広く町民の男女に広まった江戸小紋。

応仁の乱で京都から三重県鈴鹿市へ移住した職人さん達によって彫られた型紙が
伊勢型紙(伝統的工芸品)として今日まで受け継がれ、
鮫小紋、行儀小紋、角通しなどの微細な柄によって単色染めされる小紋が江戸小紋だ。
“江戸...”と名前がついてはいるが、染めは京都や東京その他でもされており
着物の染めの種類の一つを言う。


小紋は柄に“上下がない”ことから一般的には礼装用とはされないが
江戸小紋に関しては発祥が武士の礼装だったということや高度な技術を要するもの、
無地きものに見える、、、または紋を入れて・・・などから準礼装という扱い。
格のある袋帯で披露宴へ着て行けるし、
名古屋帯などでちょっとしたお出かけにも重宝。


さて小紋の現状だが、
高度な技術を持つ型彫り師さん、緻密に型あわせをする染め師さんの数や高齢化。
そして生産数の減少。
さらに、これが実情であると思われるが
渋紙と手染めによる出来上がりは手間のみならず、
“業者間”での難物扱いをされるケースもでてきて、結果、コストが高くなる。
つまり、ちょっとした染め難のあるものでもことごとく“B反”となってしまうのだ。
“手の味”の評価が厳しいのは生産現場と消費者との距離にも問題があるか。。。


イイ物=難のない物 であることを求められて採用されてきたのが
シルクスクリーン型による小紋染めだ。
これは機械で染めるのではない。
やはり人の手で染めるのだが、難物は出にくくなった。
“シルク...”とはいうが、今はポリエステルなどの強度のある布で型が作られる。
ここも昔から板場と言う。



                        


今回訪ねた工房はそのスクリーン型で小紋染めをしている場所。(京都市内)
染め工房全体が減少傾向にある中、丁寧な仕事と複雑で難しい小紋染めなどもできる
この工房は貴重だ。


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     おびただしい数のスクリーン型と、型を置く際の命とも言うべきストッパー決め。
     この測り方を間違えることはできない。

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     布の上に重ねて防染糊を置いているところ。

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左は帯の柄染め。右は羽裏(後で裁断する)。毬の柄だったかな...

京小紋は多色になるため
一反で7?8枚ものこの型を必要とする場合がある。(型の保管スペースが大変)

染め工房はもっと規模の大きなところもあるが
ここは家族でコツコツと続けている。
実際こういう工房からもスゴイ小紋は生まれているのだ。
夏は暑く冬は寒い過酷な現場だが若い息子さん達もがんばっていた。

気軽にきものを着て出かけるのには小紋は便利である。
また、帯や八掛け、羽裏にもこういった型染めは必要。
これからもぜひ頑張っていって欲しい(p*・ω・)q






      板場の下でのんびりと昼寝をしていた猫クンを気配で起こしてしまった。
              komasan3
                 アナタは誰?と言っていますw
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宇ゐ

Author:宇ゐ
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京都で着物スタイリスト、着付コーディネートをしています。
きものに関する出来事や気がついたことなどを綴っていきます。

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